カテゴリー :創作ノート こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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創作が苦手な芸術家って? その1

090207_2239~0001私の周りで、創作しようとしても何を作ればいいのかわからないという芸術家が意外と多いんです。

芸術家にとって創作は当然必要なものです。
創作をあくまで手段としてとらえるならば何も作らないということ自体を作品にすることもできますが、多くの人から理解されないでしょう(涙)。

ではどうすれば作家にとって有意義な作品を創作をすることができるのでしょうか?
今までそうした作品論を見たことはありませんが、一度まとめてみたいと思います。

創作できないという悩みを、まとめるとおおよそ次のようになります。

・どんな題材の作品を作ればいいかわからない。
・自分のこだわりが強くて、回りの人に理解されない。
・作ることが好きだったのに何の為に作っているか分からなくなった。
・作品にオリジナリティがないような気がする。
・他の人からの評価が気になって作れない。
・だらだら時間をかけてしまう。
・アイデアを再現する技術が足りない。
・考えすぎてまとまらない。
・お客さんとうまくコミュニケーションがとれない。

このなかで思い当たるふしがありませんか?


では、これらの悩みに対して何が原因なのか、考えてみましょう。
悩みの問題点を分類すると

問題点
1.伝えたい目的が整理されていない
2.効果的な制作方法がわからない
3.自分を客観的にみることができない

と3つに絞ってみました。この問題点をクリアできれば、
作品の創作が充実した意味を持ってくるはずです。
時代を超えて認められる作品には共通点があります。

それではこの問題を解決する解決策を次回から述べていきます。

写真は創作中の「藤壺」
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| 創作ノート | 09:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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創作が苦手な芸術家 その2

090116_2146~0001前回創作にあたり、多くの作家が抱く共通点を書きました。
今回はその第2弾で目標を掲げ、今の自分からどのように変革すればいいのか探っていきます。

解決のための目標
1.作品全体の目的・構成を最初に組み立てられるようにする。創作には無駄なものはないので常にライン1本にも意味や必然性を意識する。
2.テーマに関連する過去の作品、資料などによく目を通し、自分なりの感動を味わう。創作は長い時間高いモチベーションが必要です。
3.あなただけの普遍的な理念を発信する。作品には未来が込められているので社会や時代との共有意識が必要です。

ここで誤りがちなのは、どうして好きなことを作品にしていけないのだ、という方もいますが、多くの場合、自己満足に陥る危険があります。これは創作すること自体が目的になっています。
もし芸術家をプロとアマを分けるのには抵抗がありますがあえて分ければ、創作を目的にするのか、手段にするのかという本質が大きな違いになります。伝えたいテーマこそが大切なのです。創作はそのための手段なのです。

作家は一種の啓示や閃きを感じることで創作を始める場合が多いのですが、表現する大切な要素は「情報を伝えること」と「気づきを与えること」です。
作品を通して社会との接点を持つコミュニケーションのツールのひとつなのです。
そのため、作家が好きなことだけに集中するのは、とかく社会生活からの逃避になる危険性があります。作家は同時代に何らかの変革をもたらすことのできる選ばれし者であることを理解すべきです。

上の3つの目標を達成することができれば、作家の溢れるような情熱と飽くなき探究心を、途切れることなく作品に打ち込むことができます。決して難しく考える必要はありません。こつこつ同じスタンスで向き合うことで見えてくる成長も大切です。成長していく過程も作品の解釈には必要ですから。

では次回からこの3つの目標に関してもう少し掘り下げて紹介して行きます。

写真は何度か登場している「藤壺」の荒彫りの状態。創作5日目のころでこれからが長い道のりでした。

| 創作ノート | 15:04 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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創作が苦手な芸術家 その3

090205_1001~0001前回、作家の陥りがちな問題点を解決するための3つの目標を挙げました。

今回からその3つの目標について見ていきます。
まずは「1.作品全体の目的・構成を最初に組み立てられるようにする。創作には無駄なものはないので常にライン1本にも意味や必然性を意識する。」を考えてみましょう。

大切なことは、自分を客観的に見ること。

古今東西多くの名品に共通するのは、「無駄がない」ということ。
一本の線でも、色でもすべてが作品の中で協調して不必要なものがありません。
作品内のすべての要素が意味をなしているともいえます。

作品は偶然の産物でなく、必然の結果だと理解しないと、創作は始りません。
たとえば以下のような状況を作品にする時の具体的な方法を見てみましょう。
「夕立が上がったあとの雨粒を残す葉や蔦に囲まれて、夕焼けに染まりながらも白さをたたえる夕顔の花があったとします。」

その感動や衝動を作品に込める場合、あなたならどうしますか?
その目的を客観的に分析します。
目的1.夏の季節感と偶然の美しさを表現する。
目的2.健気に咲く花の可憐さとはかなさを表現する。
目的3.源氏物語に登場する夕顔を想起して表現する。
・・・・・・・・などなど
いくつも出てくると思います。
ただ花を描くのではなく、どのような表現をしたいのか考えます。

またそのときになぜ夕顔の花に惹かれたのか背景も考えます。
背景1.典型的な日本画の題材を探していたから。
背景2.自らの人生や過去の記憶、願いなどと重ね合わせたいから。
背景3.花好きの人へ贈呈したいから
・・・・・・・・などなど

今度はそれをどう表現するかを考えます。
またそれを誰に見せたいかを考えます。
またそれをどういう素材で作るか考えます。
またそれを・・・・・・・・・・・・

そのようにいろいろなファクターを通して考えをまとめていく中で、
効果的な見せ方を自然と身につくようになります。
いわば作家は演出家のように、全体を構成を捉えられるようになります。
何が必要な情報なのか、取捨選択をしてシンプルにしていきます。
ここぞという見せ場はひとつに絞っていくことで、緊張感が生まれます。
また見せ場を絞ることで情報の優先順位がつくので、画面の強弱を出しやすくなります。
そのためには無駄な情報は潔くそぎ落とします。

そうすることで作品の印象はがらりと変わります。
作品の存在する価値を常に作家は考えなくてはなりません。
何かの必要があってこそ、作品の存在感が生まれます。

次回は目標2についてみていきます。

写真はおなじみの「藤壺」の制作途中。今回の見せ場である、懐刀で自らの髪を落とす(出家の暗示)ところ。

| 創作ノート | 14:05 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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創作が苦手な芸術家 その4

空観創作にあたり、前回は自分を客観視することを述べました。
今回は目標2についてみていきましょう。
「2.テーマに関連する過去の作品、資料などによく目を通し、自分なりの感動を味わう。創作は長い時間高いモチベーションが必要です。」

これは一言でいえば、自分の殻を破ることです。

多くの作品や関連する情報を取り込むことによって複眼視点でテーマをとらえることができます。ルールを知ることで社会と自分の関係を推し量ります。
また他の作品を見ることは、先人たちの感動を再確認することもできます。そのとき違った感動を覚えたり、違和感を感じたりと意外な発見があるかもしれません。その発見は個人の差異なのか時代情勢などの外的要因かもしれませんが、多くの発見を見つけることが重要です。

いったんルールを頭にたたきこむ→自分のルールに置き換える→自分なりの表現になる→自分の殻を破る

このプロセスはごくごく当然のことなので敢えて書く必要はないのですが、空観流にいえば、創作者は純粋に感動者でなくてはなりません。

他者や社会と自分の関係を探るのは、自分が主体的になるためです。模倣したり、追従するためではありません。安易に成功した作品を真似るのでは感動を与えることはできません。

自らが感動していなくては表現することはできません。
純粋な感動者とは他の要因に惑わされることなく常に自分が中心になる必要があります。
感動することは自分の殻を破るために重要な手がかりになります。

作家は自分の世界に没頭することを好みますが、自分の殻を破るには、自らに突き上げてくる衝動や感動がなくてはなりません。それには常に外界との接触が大切なのです。

写真は制作途中の「藤壺」の後ろ姿。
表側の端正な印象と変わり、背面は源氏への揺れ動く葛藤を表わすように大きなうねりを持たせています。


| 創作ノート | 09:40 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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美に触れると幸福を感じる

私の考えをまとめるためにつづり始めたブログですが、多くの方から感想や励ましの言葉を頂き感謝しています。
*----------*

先日お能を見に行ってきました。
名作「定家」は2時間を超える長い舞台でしたが、大変美しくあっという間に感じました。

日本美術や伝統芸能を見ると、その本質には様式美があります。
それぞれの流派が磨き洗練させてきた型には美しさがあります。
贅肉をそぎ落として本質に迫ろうとする永年の英知の集積です。
シンプルでありながら奥深さを秘めていて、ハッとさせられます。

ここで「様式」を辞書で引くと

(1)かたちや様子。同類のものの間に共通の、一定の形式・やり方。
(2)芸術作品・建築物などで、ある時代・民族、また流派などの中にみられる、特徴的・類型的な表現形式。

様式化するメリットは、一定の水準を保つことと、共通の価値観を与えることです。
私の大切な先輩から、美のキーワードは「心地よさを与える」ものであるとコメントを
いただきましたが、まさにその通りだと思います。

なぜ美を追求するのか?

人はそれが好きだからです。美に触れると幸福を感じる。心地よさは考えるものでなく感じるものです。

様式のなかで本質をシンプルに追求していく目標は美なのだと思います。
伝統とは革新の連続であると私は常々考えていますが、表現者として様式を守るということは先人を超えていかねばなりません。そこにはたゆまぬ創造がなければできないものです。

先日創作が苦手な芸術家 その4でルールを知って自分の殻を破ることを述べたことの補足として、付け足しておきます。

| 創作ノート | 08:08 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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創作が苦手な芸術家 その5

hujitsubo2_3.jpg創作に関する目標を掲げることで、自分を客観視すること、自分の殻を破ることを述べてきました。今回は目標3を通して他者とどうかかわるかを考えます。
「3.あなただけの普遍的な理念を発信する。作品には未来が込められているので社会や時代との共有意識が必要です。」

ポイントは、ずれないということ。

他人の評価によって自分の意見を変えない。作家は自らの成長によって考え方も感じ方も変わっていくのは当然のことですが、自分の信条だけは変えてはならない。
その信条とは何か、楽しいことに純粋であること。
常にアンテナを張ってたくさんのものに興味を持つと楽しみはつきません。

他者とかかわる前に、自分の信条を持たないとぶれます。
作家は孤独な存在です。他の人に心を許すことが難しいからこそ、自分の道を究められるのですが、その分だけ不安も人一倍感じるものです。人の評価や好みに振り回されない力強さが大切です。

同時代への関係を理念として持つことも作家の力強さになります。作品は時代を築いているのです。未来を創り出している意識を持つことで作品への取り組み方が変わってきます。個人であれ、共同プロジェクトであれ時代を共有していることが大切です。

今回は作家の心構えについて述べました。作品の魅力の半分は造形やテクニックの素晴らしさだとしたら、あとの半分は作品の精神性が反映されます。

私の心をとらえて離さない作品とは、作品の奥にある「品格」です。作家の本分は作品に名前を残すことでなく、作品の品格を残すことなのです。

創作が苦手な芸術家についてシリーズでご覧いただきありがとうございます。本当に創作が苦手な芸術家とは、私自身かもしれません。今後の私にご期待ください。

写真は完成した「藤壺」の側面と正面から。

| 創作ノート | 07:32 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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作品解説に載せることのない作家の動機 「越冬」

091107_0554~01作家が作品を作りだす動機はいろいろありますが、どうしても彫らないと気が済まないという強迫観念に駆られることがあります。今日はちょっと深い話になりますが、先日の「越冬」にまつわる、創作の舞台裏を紹介します。

8月のある夜、夢のなかでやり場のない憤りのため午前2時過ぎに目が覚めました。夢の内容は何人か男たちが家を作るのにどうも人柱を使っていたようなのです。明らかに理不尽な状況の中で、たまたま通りがかった私は人柱にされる人を救おうと銃などの武器で必死に闘うんですが男たちは化け物に変わって追いかけてきました・・・そこで目が覚めたのです。

自分が見ている前で何もすることができず、自分の無力の正義を責めるだけでした。自分が失敗した報いを受けるなら納得もいきますが、自分には何もできないときの失望感は言いようもありません。
その後眠れなくなり、創作をしたり、スケッチをしたり、散歩したりして朝がしらじらと明けてきました。

マスコミでも関係のない人を無差別に狙った事件などを取り上げていますが、もし自分がその関係者になったとしたら同じような憤りを覚えるに違いありません。大きく言えば自分が知る知らないにかかわらず、地球規模で環境破壊を行ってきているともいえます。

人間は、自己実現のために生きているのか、他者のために自分を犠牲にすべきなのか、助けることができない正義とはなんなのか?または私が大切な人の犠牲にもなれずにその人を別れるとしたら、僕は何を教訓とするべきなのかと。究極の質問を迫られた思いでした。

だからこそ自分を大切にする気持ちで、他の人にも同じ気持ちで接すること。
自分を犠牲にしても伝えたい大切なもの、受け継がれるべきもの。
未来を憂うのではなく、悔いのないように今できることをやるしかないと思うのです。

そこで思い出したのが、白鳥の話です。
とても寒く、食べるものを枯れ果ててしまった冬、白鳥の親子がいました。
厳しい寒さと飢えにどうすることもできず、親鳥は自らの胸をくちばしで突きました。
そこから流れる自らの血を子供に飲ませているという話です。
無償の愛はとてもシンプルに、とても深く心に響きます。

私は作品でしか形を残すことができないので、その白鳥の話を根付にすることが私の人生でどう生きるべきなのひとつの指標だと思えたのです。

ひとつの根付がこんなことから始まることもあるのです。

写真は製作途中の「越冬」の後ろ姿。母鳥が疲れ果てて羽繕いもできない様子を想い、羽をところどころ乱れさせています。

| 創作ノート | 14:50 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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創作が苦手な彫刻家その5 はじめちょちょろなかぱっぱ

いろいろな人に根付の話をしていると、よく「どのくらい時間がかかるんですか?」と聞かれます。私の場合2カ月から半年くらいが最近のペースになっています。いくつかかけ持ちをしながら、2つか3つの作品を順次進めるようにしています。

今日は効率的な創作の進め方について紹介します。
大切なのは「時間割」。
学校の授業ではありませんが達成目標(タスク)を書きだして1時間ごとに割り振ると、頭が整理されます。
まずは書きだすことで、優先順位を考えることができます。忙しいほど一つに没頭してしまいますが、「急がば回れ」の精神で、集中力の持続できる時間に細かく分けて進めるほうが結果的に良い結果になります。
これはサラリーマン時代に徹底的に指導されたものです。私の手帳は1週間ごとの見開きページで、片方のページに1週間ごとにタスクを書きだすようにしています。

意外と仕事が停滞するときとか、スランプのときは一つのことに没頭しすぎて逆に抜けられなくなります。

多面的思考というか、いろいろな考え方を取り入れることによって作品に深みを与えることができます。
作品に宿る「美しさ」をよりシンプルなかたちに削ぎ落としていくことにもつながります。

また書きだすことでのメリットもあります。曖昧とした自分の思考を具体化することで将来像が明確になります。
到達点が決まると、そこまでの過程が分かりやすくなります。

何から先に始めていいかわからない、何がしたいかわからないという方、手帳に書き出してみることをお勧めします。

なんでもやり始めのときは気が乗らないもの。「はじめちょろちょろなかぱっぱ」 とご飯の炊き方でいうように、まずは何でも分からなくても行動を起こして、様子を見て、最後に一気呵成に仕上げるというのがいいようです。
かく言う私も最近抱える仕事量が多くなってきて、改めて今朝から時間割をしているところです。

※はじめちょろちょろなかぱっぱ、ぶつぶついうころ火を引いて、一握りの藁燃やし、赤子泣いても蓋とるな

| 創作ノート | 09:12 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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創作の前に

空観 夕顔今日はちょっと気分転換に。

私は創作の前に刀を数本研ぐようにしてます。それが精神鎮静になり創作に没頭しやすくなります。

先日たまたま知ったのですが、物事を始める前に掃除したり、整理すると脳の前頭前野が刺激されて次の作業で集中しやすくなるそうです。知らず知らずにしていたのですがそれが創作の助走になっていたと分かって納得しました。

この前頭前野、実はこの部位が発達したことで人間と他の動物が全く違った思考回路を持つようになりました。

前頭前野は「脳の司令塔」と呼ばれるだけに人間にしかできない働きを受け持っています。
創造したり、発明したりといったことから、感情のコントロールまでして、やる気を起こしたり、我慢させたりします。情緒不安定やうつ病はこの前頭前野の未発達や機能障害から起こるともいわれています。
前頭前夜が人類に新しいことへの挑戦をさせて進歩させてきたといっても過言ではありません。

この脳を刺激するには指先を使って作るのがいいそうです。根付はもってこいですね(笑)。逆にテレビゲームなどでは前頭前野はほとんど使われないそうです。テレビゲーム世代で「キレやすい」といわれるのも分かる気がします。

脳は使わないと自然と伝達神経のシナプスが衰えるといわれます。新しいシナプスが増やすためにも、脳を活性化させるために、今日はいつもより多めに刀を研がなきゃ!と思います。

| 創作ノート | 06:57 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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解剖のすゝめ

空観 解剖スケッチ彫刻をしていて、解剖学の教則本は良く眼にしたり、スケッチなどして仕組みを勉強することは多いものです。写真は以前参考書から書き起こして、今では壁に貼り付けています。決して解剖の現場には立ち会いたくない臆病者なので本ばかり見ています。街ゆく人にも骨格や筋肉の動きを重ねて見る目は少し変わっていると自分でも思いますが…。隣町の高円寺では阿波踊りが有名ですが、夜風に吹かれながら見ていると提灯の明かりにともされたガイコツ踊りにも見えてきます。

骨格標本や筋肉解剖図は怖いから苦手という人も多いと思いますが、彫刻では表現の基礎となるから重要です。作品ではサイズによってデフォルメしますが、プロポーションの割り出しに始まり、ポーズの整合性、感情の表現、重量感や存在感などすべてに影響を与えます。
何度もスケッチを重ねていると、無駄な骨も不必要な筋肉も一切なく、すべての部位が過不足なく有機的につながっていることを感じます。即物的な見方だとは思いつつも、人体の神秘を改めて感じる瞬間です。

解剖学は人体の謎に対する科学的な追求から始まりました。歴史的には紀元前3500年前のエジプトでは既に脳について研究がされていたと言います。古代ギリシアでも医学の父と呼ばれたヒポクラテスがヤギを解剖したとされています。中世や近世では宗教的な理由から解剖は認められていませんでいたが、レオナルドダヴィンチは自ら解剖にあたったとされます。彼の絵が冷やかな印象を与えるのも、解剖学的な観察眼から描かれたことも理由の一つといえるでしょう。

以前科学は進歩の縦糸、芸術は共存の横糸と書きましたが、まさに解剖学は科学的な見方で、芸術的な人間賛歌も感情の奥行きも感じられません。そこにどのような芸術性を込められるかが創作者の真骨頂となるわけです。

解剖図ばかり見ていても創作につながりませんが、ときどき筋肉の流れや形をぼんやりと眺めていると、その曲線や螺旋形態に新しい根付のシルエットが浮かんでくることもあるので不思議なものです。

| 創作ノート | 10:37 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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