カテゴリー :コラム こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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戻らない毎日を生きるということ

fujitsubo2.jpg毎日24時間j決まったように流れていく。当たり前のことといえばそうなんだけど。
逆戻りはできないんだから、どう生きていくかが大切になるんだよね。
僕にとって生きるということは、与えられた芸術の創作をすることと同じ意味を持っている。
今日を生きるためというより、100年先の人々に伝えたい価値観を残したい、そういうつもりで毎日を生きている。

自分にしかできないという信念と自分に厳しくする覚悟をもって今日を生きる。ひと彫り一彫りの積み重ねでしか作品は生まれない。またはそうすることでしか自分を確認できない。

絶えず流れる時間を悔いなく生きたいものだね。

写真は源氏物語の中で、光源氏との宿命の恋に終止符を打つために出家を決意する「藤壺」
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| コラム | 01:23 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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いと小さく見ゆるはいとをかし

一黙雷如平安時代の才女、清少納言が「枕草紙」に「いと小さく見ゆるはいとをかし」と記しているように、日本人は古くから小さいものに対して特別の風情を感じていたようです。
私が彫刻している根付も、日本独自の極小彫刻として国内のみならず海外でも高く評価されています。それは約一寸(3.3cm)四方の大きさで、掌にすっぽり収まります。このような彫刻は世界の中でも類をみません。

もともとは室町時代末期から江戸時代にかけて印籠などを帯から提げるときに紐で帯から通してその先端につけて留め具として使用されてきました。時代が下るにつれて粋と洒落の象徴として作り手が創意を凝らして隆盛を極めました。

根付の制約としてよく言われるのが、
1.着物や帯を傷めないように丸みがあること。
2.紐通しの孔があること。
3.程よい大きさであること。
4.360度どこから見ても彫刻が施されていること。
となります。

そんな根付ですが、私がなぜこだわっているかというと…
やはりその小ささ故なんです(笑)。

小さいんですが、そこに森羅万象を凝縮することができると感じるからです。
大きな彫刻では味わえない親近感や愛着があるんです。
掌で作品の感触を確かめながら、小宇宙の広がりを感じる、自分だけの至福のひととき。

現代美術では大きなスケールの作品もありますが、小さいというマイナス要素をプラスにする逆転の発想がとても好きなんです。

存在感というのは不思議で、目の近くまで作品を持っていくことで拡大鏡のように見ることができ、比較するものもないと自然と印象は大きくなります。
小さくてもポーズやプロポーションをデフォルメすることで、ダイナミックな迫力を持たせることができます。

また触覚の芸術、愛玩できる芸術などとも呼ばれ、他のジャンルとは別の楽しみ方があります。これはもともと装飾品として発展してきたからです。そのため、持ち手の好みが重要で好きなものしか身につけたくないという心理が働きます。「思い入れ」によって長く愛された作品は風合いを増していきます。時間が作品に「味」を加えていくわけです。

そのような根付ならではの特徴に、私は多くの可能性を感じています。


写真は創作途中の小さな雷神。


| コラム | 09:26 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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古根付と現代根付を隔てるもの

venus_up.jpg根付を生業とするものにとって、古根付(江戸時代から明治時代くらいまでの骨董的価値を持つ根付)と現代根付(1970年代以降現代につながる現代作家による根付)の違いや意味について必然的に考えざるを得ません。
または現代だからこそできる可能性を考えたりもします。

古根付と現代根付とで、ひとつ違うことは、現代根付には作家の成長に対する期待が込められていることです。

江戸時代においても名工は自然発生的に突然生まれてきたのではなく、作り手と持ち手の二人三脚によって、匠が極められ、数々の名品を世に残したのではないかと思うのです。
古根付は、その妍を競った当時の風情をしのばせるよすがでもあります。

現代の作家が単に古根付の技術や題材をまねてもその風情がでないのは当然です。

現代根付には過去の遺産をまねるだけではなく、新しい価値観を与えることが必要なはずです。それは模索の道かもしれません。しかしその試みは将来のスタンダードになる可能性もあります。

作家が今までにない「美」を手探りで行なうことは、成功か失敗かという結果を考えて行なうものではありません。だからこそ、その意気込みを見込んで応援してくれる方がいることは大変心強いのです。

古根付と現代根付を隔てるもの…

同時代を生きて、現代根付を見守っていただいている方がいること。
本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。

現代根付には、未来の可能性を含んでいます。
未来を閉じ込めるタイムカプセルが根付だなんて、とても素敵ですね・・・

写真は夜明けを意味する「黎明」。ヴィーナスの目覚めになぞらえています。

| コラム | 11:34 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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こんな日は月でも見に行こう

090723_1519~02ふと立ち寄った高円寺のイタリアンでスパークリングワインを飲みながら、店内に響く家族の笑いや恋人たちの囁きに包まれ思った。

こんな日は月でも見に行こう。

ひとはぬるま湯につかると、その温かさになれてしまう。少し離れることでその温度や大切さを感じることができる。人との関係も同じで、近くにいるより遠くにいる方が強く存在を感じることができる。大切であればなおさらそう思う。

近くにいればいるほど依存して、自分への見返りを期待してしまう。でも依存してはいけない。そこに自分の居場所はない。
僕が求めているのは、芸術の高みを目指すこと。根付の頂きを見つめ続けること。
今は依存することはできないのだ。僕は根っからの天の邪鬼かもしれない、もともと幸せには縁遠いらしい。

たたかいつかれたときそっと立ち寄れる岬のように、遠い航海の安全を案じていてくれればそれでいい。

このブログのタイトルは、今年の春先アンデス山脈を旅したときに見た月に感動を覚えたから名づけた。標高3000メートルを超すアンデスで見る月は、日本で見るそれと違い、倍くらいの大きさと明るさがあって驚いた。月が私たちを照らすのはそこには見えない太陽の輝きがあるから。月の明りに遠きにある太陽を感じることができる。太陽ばかりでは月は感じられない。だからこそ月に惹かれるのかもしれない。

いにしえに月と酒を愛した詩人がいた。きっと同じことを思っていたのかもしれない。
今日は少し酔って、スパークリングワインの泡に月を見たようだ・・・。

写真は現在創作中の雷神。「一黙雷如」という『維摩経』の言葉から、仏法の真理は黙って伝えるものとの意味で、大切な思いは黙って伝えるという道を説いたもの。

| コラム | 20:49 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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引き算の美

drawing.jpg自称「美の伝道師」と名乗る根付師にとって、美とは何か、一度はっきりさせておきたいと思います。

私の考える美は「引き算の美」。
過剰な情報をそぎ落とし、過不足なく真意を表している状態。

例えば一幅の掛け軸に湖に漂うように映る満月が描かれてあったとします。花にはガマの穂が投げ込まれています。そんなとき、外には満月があればそれでいいと思います。

「引き算」をするためには、調和が大切です。一見不完全でありながらも、すべての要素が補い合い、拡張したりと関係を持っている状態です。そこには日本人の中に流れる自然への崇敬が反映されていると思います。森羅万象どれ一つ同じものはなく、どの存在にも意味があり、すべては関係を持ち調和しています。そうした自然観を創作によって再構築することが「美」だと思います。

私がそもそも日本の美の再発見をしたのは陰陽五行を勉強したときです。自然の摂理を明らかにしようとした東洋思想の根底です。これは西洋の考え方と違っていて、目から鱗が落ちる気がしました。
その中で、自分の与えられた使命を感じるようになりました。その中で2つ簡単に紹介します。

● 人の存在理由はひとそれぞれですが、人と違うことを理解しないと調和できない。

● 陰極まれば陽となす。陽極まれば陰となす。すべては未完で調和していて、極は通過点である。

私にとって「美」の再現は、私の生き方であり、存在理由です。そのためすべて未完であり、道を極めていかないといけないのです。常に本来の使命を覚悟して、人と違うことを喜びとするのです。「引き算」というのはその生きる姿勢をシンプルにしていくことなのです。それは多くの人や物に出会い、多くの事を感じ取りながら、発見していくことしかありません。

多くの情報が氾濫し、増殖するなかで、見極めていくこと。
私にしかできない美の表現は、ありのままの自分に帰っていくことなのだと思います。

写真は「つき待ち」のスケッチ。先日かろうじて見ることができた中秋の名月綺麗でしたね。

| コラム | 09:15 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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彫刻が語りだす

空観物言わぬ彫刻が語りだす。

決してオカルト小説の見過ぎではありませんので(笑)。
これは私の考える彫刻の真髄です。
今日は私がなぜ絵画やインスタレーションではなくて彫刻に惹かれているかを紹介します。

立体彫刻はご存じのように3次元となっています。ですが、そこに時間軸が加わることで、見え方や感情移入の仕方が変わってくるから不思議です。彫刻を鑑賞する際一方向から見る人はまれで、たいていぐるっと一回りするか、近付いたり遠ざかったりします。
そうすることで視点を固定化せず複数の視点から異なる景色や表情を楽しむことができます。光と影のコントラストや質感の変化、凹凸の緊張感などを通して感情の揺れを感じるのです。
これは絵画などのジャンルと決定的に異なる楽しみ方です。

絵画の場合外界との境界を額で仕切りますが、彫刻の場合は額はないので彫刻のシルエットが境界となります。彫刻作品と外界の接点が同じなので、彫刻を実とすると外界が虚の関係になり、空間までが作品の一部になります。長く見ていると彫刻が虚に見えてくることさえあります。

物体としてみれば彫刻には重力が働くため、垂直性が大切になります。重力を無視した造形はありえません。その垂直性に左右非対称、旋回(らせん構造)を加えることで動きが出てきます。この動きが時間軸を生みます。
また複雑な形がバランスを保って立っている状態は彫刻ならではの楽しさです。決してしゃべることはない彫刻ですが、迫ってくる印象を与えたり、一方向に動こうとしたり自発的な意思を持っているように感じられることがあるのです。
まさに「彫刻が語りだす」。

しかし、この重力を無視することができる唯一の彫刻が根付です。当然立たせることはできますが、無重力感覚を楽しむことができる特徴は見逃せない要素です。もともと帯の上からぶらさげるので無重力での浮遊感覚が備わっているのです。重力が支配する世界の浮遊感、それが根付の魅力でもあります。根付を下から眺めた時の存在感、背筋に電流が流れるような感覚が走ります。

また実用としての根付は、現在では一種の護符のような役割を持っています。装飾品として持ち手の身体に近ければ近いほど、好んだものしか身につけないためです。根付はプライバシーの守護にもなるのです。

根付について言うならもうひとつ。根付は触ることのできる彫刻です。触ることで愛着がでてくる不思議な彫刻なのです。ミロのヴィーナスに触れたいと思っても触れることはできません。この親しみやすさ(?)が根付の醍醐味です。

彫刻に魅せられた私の行きついた究極の彫刻が根付であったのは当然だったかもしれません。



| コラム | 11:25 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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革新~作家の乗り越える壁

vunus2.jpg作家には自分の持っている壁を一作ごとに破っていかねばなりません。そんな気持ちで毎回新しいチャレンジをしています。

2008年に発表したヴィーナスを振り返ってみたいと思います。
※写真は裏側になります。表側はこちらです≫

現代根付において他の作家があえて避ける不可侵領域の題材があるとすれば、それは美人根付です。
このヴィーナスは私にとっては初めての女性像です。2006年から彫り、足かけ2年を費やした、小さい大作(自分で言うのもおこがましいですが…)です。
このとき私には2つの目的がありました。

ひとつは、自分の理想とする女性とはどのような人なのか考えること。安らぎを与える存在なのか、心の琴線を鳴らすような存在なのか、いつも見守ってくれるような存在なのか、優しいのか、厳しいのか、美しいのか・・・。
ギリシア神話のヴィーナスの誕生になぞらえて、自分の理想像を追い求めてみました。

もうひとつは美人根付のジャンルにおける挑戦です。
西洋的な雰囲気と、裏側に込めた寓意。単に美しさだけでなく暗さを取り入れた空観流美人根付。限られた素材の中にドラマ性と謎解きをちりばめました。

しかし、課題もありました。初めて象牙だったので、今までの木彫と違い特殊な刃物が必要でした。彫り方も違います。
また寝そべる構図をいかにコンパクトにまとめるか。プロポーションのデフォルメ、動きの表現などクリアしなければならないことが多くありました。
果たして意図が達成できているかは皆さんの判断となりますが、その時の私なりのすべてを尽くしました。
ひとつ出来上がるとまた課題が生まれ、作家として作品は挑戦の連続です。
常に課題をクリアすることで新しい表現が獲得できます。
いつまでも課題を持ち続けながら向かい合った作品には終わりはありません。

| コラム | 07:20 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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人生は最高の贈り物

portrait.jpgある彫刻家は本日誕生日を迎えました。
親しき方から祝っていただき、ありがとうございます。
祝ってもらって嬉しい年でもありませんが、やはり嬉しいものですね。

こんな言葉もいただきました。
「誕生日は生んでくれた親に感謝する日」

当たり前のことなのかも知れないけれど、確かにその通りですね。
人生は最高の贈り物。ありがとうの一言素直に伝えたいと思います。

そして今日、「一黙雷如」を彫りあげました。

画像はある彫刻家の肖像。

| コラム | 21:44 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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材料の不思議

いつもブログをご覧の方からいただいたご質問について、今日は話します。

「材料があたえる印象も、教えてほしいです。象嵌で、なんであんなに目の印象が変わるのか、いつも不思議です。」

根付の素材※1として一般的な象牙と黄楊で比較しましょう。根付は眼を近づけて見るため、肌理の細かい素材が向きます。また硬く粘りのあるほうが精密な細工ができます。象牙と黄楊はとても適しています。

写真は作品「つき待ち」。多少デザインの差はありますが、素材の与える印象はいかがですか?

kukansozai.jpg

象牙の良さは透明感のある光沢が特徴です。左刃という特別な刃物を使用します。
黄楊と違い耐久性があるので表面に細かな細工や透かしなどを入れることができます。
艶やかな肌合いには神秘的な魅力を感じます。
西洋的な題材や細密さが必要なときは象牙を使っています。

一方、黄楊の特徴は温かみです。大らかな作風の方が木のよさが引き立ちます。
運慶の仏像などを見ていても表情や衣文などうまく省略し、細部を連想させます。
ちょっと離れて見たときのボリューム感は、象牙よりも存在感を感じます。
少し滑稽なキャラクターなどに良く合います。
私は彫っていると木の持つ温かみが何より和むので木の方が好きです。

象嵌については別の機会に改めて述べますね。

※1根付に使われる素材は、一般的に黄楊、象牙、鹿角、漆などが一般的です。珍しい素材として猪牙、ウニコール(一角鯨の角)、セイウチの牙、檀木、陶磁器などがあります。ワシントン条約以降は象牙の代替品として、タグアナッツ、マンモス牙、コハク、白蝶貝、各種輸入木材など様々なアプローチがなされてきました。

| コラム | 06:15 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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画竜点睛 象嵌

今回は象嵌※1についてみていきましょう。

zougan.jpg

私は根付の眼を入れるのによく使用します。「眼は口ほどに物を言う」ということわざのように、大変印象が違います。素材の違い、光沢感の違い、色の違いなどから眼が引き立って見えます。

仏像の場合は玉眼といって、仏像を割って中をくりぬき水晶の義眼を裏からいれます。鎌倉以降の仏像でよく見られ、つややかな透明感が生きているかのような印象を与えるので流行しました。

根付の場合、象嵌は地を彫りこんではめるため、大変神経を使います。

良くやるのが、
・せっかく大きさを合わせて埋め込もうとすると、はじいてなくしてしまう(涙)。
・目を入れたらちぐはぐ(汗)。
・彫った大きさとあわない(嘆)
・深く彫りすぎた(泣)・・・・
といったことを繰り返しながら、何度も調整して進めていきます。

象嵌ばかりはテクニックの上達なしには語れません。納得がいくまで何度も手を掛けます。
象嵌がうまくいくと、それにかこつけてよくスパークリングワインで至福のひとときにふけります。

素材は、べっ甲、コハク、鹿角、象牙、白蝶貝、メノウ、真珠、サンゴ、他金属や宝石などいろいろなものを入れることがあります。(上の写真は素材がそれぞれ違います。雷神は鹿角とヘゴ、金魚は白蝶貝とべっ甲、鶏はべっ甲、兎はメノウ)
howtozoukgan.jpg

眼の入れ方には、いくつかの方法があります。
二重象嵌・・・白目と黒目(瞳)をそれぞれ象嵌する
八方睨み・・・透明度の高いコハクやべっ甲の裏に目を入れ、どこから見ても焦点が合うようにする
単象嵌・・・動物など瞳だけの場合、濃い色の素材を入れる

私がよく気を付けているのは、その象嵌の深さです。浅ければ外れる危険性があるので、しっかり埋め込むようにしています。
眼以外でも意匠でさまざまな使い方をしますが、異素材同志の組み合わせなので、破損がないよう注意します。
今回は技術的な話になりました。

※1ぞうがん【象眼/象嵌】(名)
(1)工芸品の加飾法の一。地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこんで模様を表す技法。主に彫金で用いるが、木・陶磁・蒔絵(まきえ)などでも用いる。彫金では糸象眼・平象眼・布の目象眼・高肉象眼などがある。「大辞林 第二版」

| コラム | 10:32 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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