カテゴリー :根付鑑賞キーワード こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその1 掌中のイリュージョン

空観 七つ面根付はご覧になる方が、見たまま、触れたままに楽しんでもらうのが一番ですが、今日は別の視点から鑑賞するポイントを説明します。

まずは、根付は小さなイリュージョン(幻影)。

根付、それは一寸の舞台の上で時間も空間も超えて繰り広げられる劇場世界。空想と現実のはざまで、主人公が繰り広げる物語に心奪われます。

その小さき世界に万物を集約する匠の技が見どころです。

素材や構図、題材などに作り手の構想が幾重にも積み上げられて、鑑賞者はさまざまな解釈を求められます。ミステリーを読み解くように、根付にちりばめられたなぞ解きをしていくのです。まだ見ぬ世界へのロマンが掻き立てられる好奇心ともいえます。

意表をつく発想、大胆な構図、皮肉や機知、怪奇などさまざまなしかけが隠されているのです。
根付は思い思いに空想世界を旅するワンダーランドです。

| 根付鑑賞キーワード | 16:49 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその2 極小のリアリズム

空観 金魚根付鑑賞のポイント第2弾はリアリズム。

自然の風物を掌の上で再現するスーパーリアリズム。それは素材やサイズの制約を越えて、細密さの中に写実性を盛り込み、あたかも本物であるかのような現実感と生命感を呼び起こします。自然に存在するあらゆるものが題材となり、あるがままの世界を再構築する姿勢が見受けられます。

匠の鋭い観察眼と精緻な刀技が見どころです。そこには創り手が持てる力の限り、刀技、象嵌、螺鈿、透かし彫りなどあらゆる技法を駆使して表現します。

ギリシアの賢者アリストテレスによれば、人間は自然のなかにある真実を模倣(ミメーシス)することに喜びを得るといいます。それは根付も同じで、自然物を、作り手の視点によって再構築された虚構世界に人々は心惹かれるのです。

たとえば冬支度の今は落ち葉をよく見かけますが、落ち葉と、写実的に彫られた落ち葉を並べたとしましょう。見る人はそのとき何か違いを感じると思います。精巧に作られた落ち葉に驚いたり、感心したりすることでしょう。見る人は今まで経験してきた落ち葉のイメージを集積して比較しているわけです。自己認識の一種で、自分のイメージしている落ち葉であると精神的な安心が得られるのです。それに伴ってさまざまな情感が引き出されることになるのです。

またリアリズムは自然に忠実な表現のため、内から立ち上る個性の表現とは趣が異なります。近代彫刻が自己を見つめることから出発したことから、個性を生かすために、他者と違う表現、内面性を重視するようになります。表現方法においてもフォルムが単純化され抽象化されました。リアリズム特有の表面上の緻密さがなくなり、作家の創作過程の痕跡が残されるようになりました。現代彫刻は他者と違う新しさが評価される傾向にあります。

天衣無縫という言葉があるように、リアリズムによって表現された個人の差異を超えた自然の摂理の追求こそがリアリズムの楽しみなのです。

| 根付鑑賞キーワード | 07:04 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその3 一小スペクタクル

空観 ヴィーナス映画などでよく見かける壮大な光景をスペクタクルと言いますが、根付にもそのような見せ場があるのです。
何も巨大な根付を作ろうという話ではないのですが、小さな根付で、サイズを超える大きな存在感を味わうことがあります。

私の作品でも「風神」をいろいろな角度から見て、「ねぶた祭りだ」と感想をもらした方がいます。
またポスターで大きく引き伸ばされた「ヴィーナス」を見て、実際のサイズの大きさにびっくりされたこともあります。根付に対する存在感の感じ方が人それぞれなのは興味深いものです。根付を凝視していると大きさを比較するものが目に入らなくなり、スケールの判断がつかなくなります。

近づいても鑑賞に耐えられるようなディテールの精度が見どころです。

ディテールの完成度を上げるために、技術や刀技を磨いていくのです。根付に込められた職人魂はあくなきスケール感への挑戦であったのです。

これは小さな彫刻ゆえの必然です。大きな彫刻はそれだけで圧倒される威圧感や恐怖心を与え、見る側の人間が矮小化させてしまいます。大きなものへの畏怖の念が先に立ちます。よく巨石や巨木をみて神が宿るというような原始宗教と似ています。巨大な彫刻ではディテールが疎かにされがちですが、根付の存在感は細部へのこだわりから生まれるものなのです。

根付の面白さは細かいところでも、裏側でも手を抜かないという執着の賜物です。その作り手の意気込みをご堪能ください。

| 根付鑑賞キーワード | 07:34 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその4 ファム・ファタル

空観 夕顔やはり師走は何かとせわしないものです。

今日はファム・ファタル(運命の女)について。ファム・ファタルは19世紀末美術や文学の世界で男を惑わし虜にする女性を指しました。たとえばサロメやメディアなど男たちを支配し、官能性と残虐性を持った女性として描かれました。

怖いけれど惹きつけられてしまう妖しい魅力。

歴史上、神話上登場する美女の多くは、男性の運命を変える存在です。イブの食べたリンゴが原罪が課せられ、パンドラの箱から災いが蔓延し、ヘレネはトロイ戦争のきっかけを作り、メデューサは人々に呪いをかけ、ユーディットは残忍な方法で祖国を守る。

何も西洋だけでなく東洋においてもファム・ファタルは登場し、鳥羽上皇の寵愛を受けた玉藻前(九尾の狐)や恋するあまり蛇に変身し安珍を焼き殺す清姫、傾城傾国の美女は数多く描かれています。源氏物語第四帖の「夕顔」もその一人でしょう。

頭中将からは常夏の女と呼ばれた側室でしたが、その後正妻の脅しで別れて行方不明になった夕顔は、光源氏に愛されながら、六条御息所らしき物の怪にとり憑かれて光源氏の前で非業の最期を遂げます。その後残された忘れ形見の玉鬘(たまかずら)は光源氏も心奪われるほどの美貌の持ち主でした。光源氏は玉鬘を見ては夕顔のことを懐かむ場面があります。光源氏にとって忘れられぬ女性でした。

女性は、友達でもあり、恋人でもあり、妻でもあり、母親でもあり、子供でもあり、人生の師でもありとさまざまな顔を持っています。だからこそ運命を変えるような魅力を放ち、それが多くの芸術家を惹きつけるのかもしれません。

根付にもどうしても惹かれてしまう魅惑的なところがあるように思えます。

写真は現在彫り進めている荒彫り状態の「夕顔」。まだまだファム・ファタルの妖しさには程遠いですね(笑)。

| 根付鑑賞キーワード | 06:39 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワード その5 粋

20091230231511粋…これはファム・ファタルを語ってからでなければ書けないと思っていました。ファム・ファタル同様、粋にもつい引き込まれてしまう本能的な魅力があるからです。

粋は、洗練されていて、気が利いているけれども、でしゃばるところもなく、さっぱりしていながらも人情味があって衆目の範となる所作や態度をさします。

歌舞伎などでもよく登場する言葉で「粋」と「野暮」。粋の反対は野暮ですが、野暮の反対は粋とも言いきれません。
野暮の反対だけではうまく言い表されない奥行きを持っているからです。
よく江戸っ子は宵越しの銭はもたねぇといいますが、粋は単に表面的な身なりだけをいうのではなくて、生き方の美学または美徳がこめられているからです。

粋は、日本的な美意識を表す言葉であり、外国ではこれに当たる言葉は見当たりません。

町人文化が開花させた根付にも当然、粋は影響を与えていました。腰もとに、凝った根付をさりげなく提げて自慢したくはあるものの、涼しげな顔で澄ましている風景が浮かびます。
自分から自慢したのでは野暮ったらしくなるので、他人が気づく間までの我慢比べといいたところでしょうか。

粋はあくまで他人から見た評価であり、もっと平たく言えば異性から見た「艶っぽさ」の評価であったと思います。
そのためなぜ粋であることを重要であったのかはよく理解できます。「侘び」や「さび」に共通する無常観や朽ちていく美ではなく、「粋」には人生の肯定や楽観的な前向きさを感じます。西洋におけるルネッサンスの人間賛歌の精神とも通じるところがあると私は思います。

根付は「粋」と「しゃれ」が磨いたとよく言われますが、粋の精神がなかったら今の私たちをここまで惹きつけることはなかったでしょう。

今年は満月で年越しになりそうですね。
9月からはじめたブログですが、多くの方からご感想や励ましの言葉をいただき書き連ねてきました。
また来年からもよろしくお付き合いください。

| 根付鑑賞キーワード | 21:22 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその6 未完の美

空観 ピエタ模写ミケランジェロの作品は晩年になるほど未完成(ノンフィニート)の作品が多くなります。彼が完璧なピエタを作り上げたのは25歳のときでした。その後は奴隷像をはじめ「パレストリーナのピエタ」「ロンダニーニのピエタ」など、大理石から頭部と胴体が彫り出されただけのノンフィニートの状態で留められています。大理石にまるでスケッチをするかのようにノミ跡を刻み、または直観に突き動かされて彫り進められたそれらの彫像を見るたび、まだこれから彫り続けるかのような感覚を覚えます。

未完の美には観る側の心情が入り込む余地があります。完成された作品以上に作り手の意図や過程に想像力を働かせることができます。そこには苦しみや悲しさ、癒しや親しみなどを強く感じさせるように思えます。ミケランジェロはノンフィニートの作品を通して、彼は神への祈りだけではなく、私たちと同じ立場を向き返って何かを訴えたかったのでしょう。

自然を超える完璧な人工美を目指す西洋美術にあっては珍しいミケランジェロのノンフィニートへの執着。時代に翻弄され、終着点の見えなくなった彼が彫りたかったのは、魂の永遠性を気づかせることだったように思えてなりません。

話は変わりますが、「わび・さび」「幽玄」などの日本的な美意識の根底には禅宗や陰陽思想があって、全ては流転の状態で未完であるという意識があります。「陽極まれば陰となす、陰極まれば陽となす」というように、完成されたものはあとは崩れていくしかないのです。そのため日光東照宮の陽明門の柱も一本だけ逆さにすることで未完の状態にしていると言われます。

人間も含めて自然はすべて未完成。大切なのはその絶え間ざる経過の一瞬を続けることで自然も生命も循環させること。日本美術はそれを自然の風物に託して表現しています。それだけにミケランジェロのノンフィニートの作品に共通するものを感じ関心を寄せるのかもしれません。

根付もその未完の美があります。その美意識が根付を単なる道具から芸術的な発展を可能にしたのです。そこに深い魅力を宿しているのです。

写真は若い時に描いたピエタの模写。

| 根付鑑賞キーワード | 07:24 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

根付鑑賞キーワードその7 デフォルメ

寝子 空観最近あまり更新していなかった根付鑑賞キーワードのなかから、今日はデフォルメを取り上げます。

デフォルメ(仏: déformer)は創作者にとって、とても魅力的な表現です。辞書では「モチーフの特徴を誇張・強調した変形を加える表現手法」とありますが、創作されるもの全てにこのデフォルメが施されているといっても過言ではありません。

デフォルメは根付にとっても、重要です。それは大きさが約一寸ともなれば物理的にも表現の幅に制限がでてきます。表現したいポイントを絞り込み、そのポイントを効果的にまた、そのものらしく見せることができます。その何を表現したいのか、そのポイントがどこなのかを鑑賞者が想像するのも愉しみの一つであるのは言うまでもありませんが。作り手と鑑賞者のコミュニケーションを促している言語とも言えます。

プラモデル模型を作っている方の話で、車を1/24のサイズで作る場合、本物を忠実に縮小しても雰囲気が変わって見えるため、車高や車幅など調整を加えるということを読んだことがあります。

大きいものを小さくというのはまだ分かりますが、反対に小さいものが大きくなるとますます違和感が出てきます。例えば可愛い子ウサギでも、もし2mの大きさだったと想像すると逆に怖く感じられます。

我々の脳は本物の大きさや質感なども記憶していて、大きさが違うものに違和感を感じ、補正しようとするためイメージと違って見えるそうです。本物をそのまま縮小して再現しても。リアリティを感じられなかったり美しくないため、そのもの「らしさ」を加えることが作品には必要になります。またそのリアリティがなくては、鑑賞者が共感したり、発見をしたりして感情移入をすることも難しくなります。

根付でもその大きさを活かして本物をそれ以上本物らしく見せるために必要なキーワードです。そしてそこには作家の個性や存在感までをも強調するのがデフォルメといえます。

| 根付鑑賞キーワード | 13:00 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT |