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こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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歴史的な側面2 根付の転換期

江戸時代の爛熟した文化を凝縮した根付でしたが、明治になると廃刀令や洋装化が進み実用で使われることが少なくなりました。根付は国内での衰退とは打って変わり、ヨーロッパなどを中心とする海外からの注目を集めるようになりました。開国により日本に出入りしていた外国人が根付を初めて見た驚きは相当なものだったらしく、大量に根付が輸出され始めました。江戸から続く工芸技術は最高の水準になっていたため、まさに傑作と名高い根付の多くが海外に送り出されました。海外でのジャポニズムのなかで浮世絵、根付、漆は日本独自の美術として扱われました。

しかしこのときから根付の本質は変わってしまいました。江戸の頃に持っていた精神的、文化的背景はなくなり、粋やいなせといった個人を演出する小道具から、異国趣味漂う小彫刻となりました。根付に彫刻という概念が加わったのはこのときです。明治期に外国に輸出する為には外国人好みの典型的な花鳥風月が題材となり、物珍しさが興味の的になりました。根付は美術的な作品価値が重要視され、オークションなどで根付は売買されることになります。

根付の性質を大きく変えてしまった、この構造的な変化を私は見逃すわけにいきません。これ以降の根付は江戸期のような根付の造形や発想の本質的な面白さを追求することでなく、日本的要素を持っていることが望まれ、懐古趣味的であることが重要になってしまったのです。

この時代、根付に限らず、明治期の工芸や美術は大きな転換期を迎えていました。
海外における日本を存在を確立する美術ということで日本美術の枠組みを早急に整える必要があったのです。西洋から移入された美術の概念により、美術と工芸は切り離され、西洋的な美術が教育の規範となりました。そもそも根付は西洋になかったわけですから、彫刻ジャンルのなかにも入りませんでした。

明治政府としても前時代的な風習や価値観を一新したかったため、根付は外貨を獲得する産業の一つとして、その価値を軽視していた状況も一因していました。

結果的に海外でのジャポニズムが終焉を迎えると需要も下がり、根付産業は衰退に向かいます。数名の作家によって細々と観賞用の根付が作られる状況が戦前まで続くことになりました。

私はこの時代を見ると技術的にも大変優れた傑作を生み出した時代でしたが、根付の醍醐味である進取の精神性は感じられません。心の依り代としての存在はなく、「モノ」として扱われるようになったのです。行儀の良い優等生のように求められることを上手にまとめた「モノ」が良い根付となったのです。本格的に根付の意味を問い直すまでには、もう少し時間が必要となります。次回は根付の模索時代を取り上げます。
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