アーカイブ :2011年08月 こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

2011年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年09月

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三賢者

三賢者 空観

三賢者
象牙、べっ甲
4.2×4.2×3.5cm


今の過剰な消費、飽食の時代を見た場合、見ざるといっても見てみたい、聞かざるといっても聞いてみたい、言わざるといっても言ってみたい、それが現実ではないでしょうか。さらには他人にまで干渉して「見させざる、聞かせざる、言わせざる」といった始末。傲慢で独善的な自己主張ばかりで排他的ともいえる現代人。
今回従来の三猿のイメージを膨らまして、自分を押しとおして相手を干渉する「見させざる、聞かせざる、言わせざる」をテーマにしました。そこでさらに登場する猿たちの性格を考えました。

そもそも文明を築いてきた人類はどこに向かっていくのでしょうか?
人類は文明の中で様々な進歩を見せました。宗教、科学、芸術の3つの柱は動物界と人類との大きな違いです。それらの柱はもともとは人の営みの中で同化していましたが、やがて分化し、それぞれ独自の方法で真実を究明しようとしています。それぞれ宗教は超自然的な存在を求め、科学は現実に見える世界の現象の解明を求め、芸術は人間の情感に宿る普遍性を求めていると言えます。これら3つの柱の主張は世界の一側面的な見方でどれも平行線のままです。

その3つの柱を三猿に当てはめて、宗教家、芸術家、科学者にして登場させています。自説を大声で叫んでいる宗教家は相手の口を覆って反論の余地も与えない(言わせざる)。音楽家は演奏するヴァイオリンの音色を相手の耳をふさいで聞かせない(聞かせざる)。望遠鏡で天体を見つめる科学者は相手の眼を足で邪魔して見させない(見させざる)。しかも宗教家は目をふさがれているのにバイブルを決して離そうとしない。頭にかぶる冠は司祭のイメージで、魚の頭です。原始キリスト教では魚(イクイトゥス)を暗号にしていたからです。それは宗教の権威主義、芸術の独善主義、科学の排他主義の風刺にもなっています。


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