ブログ再開のお知らせ こんな日は月でも観に行こう
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こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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ブログ再開のお知らせ

空観 亥創作に没頭するためブログを休んでから、はや立春を過ぎました。休み中でも多くの皆さまから様ざまなメッセージをいただき本当にありがとうございます。作品も入念に仕上げて完成しましたので、今後改めてブログにアップしていきますのでご覧ください。
現在取りかかっている作品も同時に進めていますので、お待ちの皆さまもう少しお待ちくださいませ。

今日は少し話を変えて「作品」について考えたいと思います。辞書では「製作したもの。特に、芸術活動による製作物。」とあります。
しかし作家から見るとそれだけでは側面的な解釈に思えます。というのは、すべての制作物が「作品」となるわけではないと思うからです。

ここで作品とは何かを考えると、作家を取り巻く環境や時代との密接な関わりあいのなかで作家自身が問う「存在」と個や時代を超越する「真理」を一緒に呈示して、観る人を忘我脱魂・恍惚の境地に誘うために永久的に公開され保存されるものが作品であると言えます。
作品たらしめるためには、観る人を作品のなかに隠されてる秘密と向かい合わせ「静かな衝撃」を与えるものでなくてはなりません。そのため作品とは公開されることを前提としていながら、毎回観たり触れたりする度に新しい発見と驚きを与えるのです。さらにいえば、観る人の心のなかに入り込んで楽しませるために作品は存在するのです。

創作活動の結果的な産物が作品ではないのです。創作は作家の思いこみや我がままなどの主観によって作られたものではありますが、作品にするためには、今度は主観的なこだわりをいかに捨てられるかということが大事になってきます。自分を捨てることで、作品本来の自立的な存在感が立ち現れてきます。作品自体が放つ輝きが見え始めるときに本当の「作品」となるのだと思います。

モノや道具と作品の違いとはそのようなものだと思います。

写真は自分の護身用に作った小根付。素材は三日月という琴の端材で作りました。これでは作品にはなりません(笑)。

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