根付は工芸? こんな日は月でも観に行こう
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小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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根付は工芸?

前回、作品とは自立した輝きをもって、観る人を忘我脱魂の境地にさせるものであること、またモノや道具と違うことを書きました。

さてそこで今回は根付について見てみたいと思います。

根付はそもそも道具の名前です。分類では工芸となります。印籠などを腰にぶら下げるストッパーとしての用途があるからです。工芸とよく比較されるのが美術です。用途を持たずに作品の自立性を追求するのを特に純粋美術といい、工芸よりも秀でているとされます。しかし、そのような分類は意味がないと思います。大切なのは根付を持つ人や、観る人の心にどのような作用をもたらすかということです。作る側にとっても道具として作っているのか、芸術として作っているか、それによって違ってきます。
根付は工芸だからと一般論でくくるのは穿った見方です。工芸とは明治政府が列強諸国に倣い便宜的に分類したもので、本質をとらえていません。工芸的なもののなかにも美術性はあるし、美術のなかにも工芸的な技術は必要であり、最初から商業的なモノを作っている場合もあります(これも一種の道具だと思います)。

以前現代根付には語り手が必要だということを書きました(語り手の存在)。根付を積極的に評価するためにはまずこの偏見を改めることから始めなければなりません。
・根付のなかには様々な目的をもたらすものがあること。
・工芸でも美術でも、それは評価次第であり、決まったものではないこと。

大切なのは根付そのものに作品としての魅力があることです。
他の美術に比べても引けを取るものでもなく、劣っているものでもありません。
その違いを明確にしていくことが語り手には求められるのです。

他の彫刻ジャンルにない特徴も魅力のひとつです。
根付には伝統的に培われた至芸の技が活かされ、それが見どころにもなっています。またそれをいつも身近で楽しむことができます。他の彫刻はモニュメントなど大型化され、公共の場に置かれることがありますが、持って歩けません。
さらには触ることで、作品と一体化することができます。肌触りを確認することで得られる安心感や愛着も根付の大きな特徴です。他の彫刻では観る側に威圧感を与える作品が多い中特別な存在です。
別な面で捉えると、飾ることで非日常的な特別な場面を演出でき、また粋やはんなりといった美学を装うことができます。この感覚は西洋に見られる権力者や為政者の絶対的な賛美を基本とした美術には決定的に欠けています。根付を持つことができたのは大名や武士たちの権力者だけではありません。庶民までもが分け隔てなく持つことができたのです。このような彫刻は世界でも類を見ません。

このような根付の独自性を評価するとしても、大切なのは作品それぞれが自立した美が宿っていることは言うまでもありません。結論から言えば、道具としての根付もあれば、美術としての根付もあります。どのように捉えるのかは観る人次第なのです。ジャンルにこだわって本質が見落とされないよう書きました。

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