芸術における「遊び」とは? こんな日は月でも観に行こう
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小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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芸術における「遊び」とは?

夕顔根付における工芸的側面と美術的本質について前回述べましたが、芸術として捉えた場合どのような意味を持つのかを考えたいと思います。

芸術のなかでよく行われる様々な区別が行われます。素材や使用方法、製作工程、使用目的によって様々なジャンルを分けます。根付も同様です。
しかし芸術の目指すものは何かというと、そのような区別の違いはあるものの、ある真理を伝えるためです。芸術には一種の情感や雰囲気を伴い、個の存在としての理解よりも大きな「真理」を表すことができます。それは喜びや恐れであったりします。それは閉ざされ観ようとしなければ見ることのできないものです。

それと比べ科学や学問には現実世界を正しく確実に解釈させる別の役割があります。それはすべての事象に対し観察し、問題を明らかにしてそれを解決することが目的となります。

ここで一つの問題も見えてきます。それは科学を理解しない動物たちも、芸術を見たことのない植物たちも同じように生きているということです。科学や学問はそれらの存在を結果的・物質的な側面から解き明かすことはできても、それらの存在がなぜ生まれてきたのか説明できません。そのため別のアプローチが必要となるため、哲学と芸術が生まれてきました。全世界的、宇宙的な存在と個の存在との関係を気づかせることが芸術の本来の目的なのです。ちょっと大げさになりますが、科学が進歩という縦糸なら、芸術は共存という横糸です。その2面性のなかで我々は生きているのです。

芸術の本質を端的に表すと「遊び」にあるといえます。科学や学問は「学び」にあると思います。学びは能動的な「学ぶこと」と、受動的な「学ばされること」が共にあります。しかし遊びには能動的な「遊ぶこと」はあっても、遊ばされることは全く別の意味になります。遊びは無意識的な好奇心を持って自ら楽しみ、喜びを見出すことです。この遊びのなかに芸術を読み解く鍵が隠されていると思うのです。

学校の授業のカリキュラムで美術がありましたが、それは学ぶものであって、全く別の性質であることまで教えてくれませんでした。学歴社会では美術は疎かにされがちなのが残念です。

ではその遊びとはどういうものなのか、それは次回述べたいと思います。

写真は先日まで取り組んでいた作品で、源氏物語より「夕顔」。

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