遊びから生まれるもの こんな日は月でも観に行こう
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小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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遊びから生まれるもの

空観 創作過程だいぶ以前になりますが、芸術の本質は「遊び」にあるということを述べました。今回はその遊びについてもう少し詳しく見ていきます。

まず最初に、遊びは芸術に限った事ではなく、科学や学問のなかにも、自然界の現象や動物たちの行動にもあります。遊ぶことを通して多くのことを学んだり、発見することはよくあります。ここでは遊びの要素のなかに芸術が目指す目的との共通性を見ていこうと思います。

オランダの歴史家ホイジンガが「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」で著したように、遊びは子供の遊びだけにとどまらず、スポーツ、芸術、学問、戦争、裁判、国際法などにも影響を与えていると述べています。
続くフランスの思想家ロジェ・カイヨワはホイジンガの説を推し進め著書「遊びと人間」のなかで、遊びを4つに特長づけました。
●アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
●アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
●ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ごっこ遊び(ままごとなど)
●イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ

それを踏まえてまとめると、遊びとは本能的欲求からまたは無意識のうちに精神的な満足感を得るために一定のルールに沿って行われるものだと言えます。それは自発的であり且つ忘我的であり、決して強制的なものではありません。その満足感とは不確実なものを競争や偶然から確実なものにしたり、経験したり予測したこと以上のものに遭遇したりすることで起きる心の高揚感と考えます。

芸術との共通性を見た場合、芸術も本能的な欲求から得られる満足感であり、一定のルールを持っているということができます。芸術は非日常的な世界観を通して、現実に生きる目的や喜びや悲しみなどの様々な感情をを引き出させることを想定した、美を映しだすための舞台装置であると考えられます。芸術は鑑賞者に見せることを前提にした舞台であり、そこで創作する側も鑑賞する側も演じながら虚構と現実の世界のはざまを楽しんでいるのです。またそこへの参加は自発的なものであって、少しずつ経験しながらその楽しみを獲得していくものです。またその楽しみは次から次へ飽きることがないところが遊びと共通しています。

これは根付においても置き換えることができて、実用する上での形状や大きさの制約や紐通しの孔などの条件などのルールを踏まえて楽しみを見いだしていきます。先のアゴンのような達成感、アレアのような意外性、ミミクリのような共感、イリンクスのような恍惚感など、思い思いにそれらの遊びの要素を楽しんでいるとも言えます。

根付の発生には諸説ありますが、その発展においては創作する側の発想だけでなく、使う側の要望や意図などを反映して、双方で競争したからこそ意表をつくような洒脱で粋な作品は生まれなかったことは確かです。そこに遊びがあったのは言うまでもありません。

話は変わりますが、幼少期は誰しも「もっと勉強しなさい」とは言われるものの「もっと遊びなさい」とは言われませんでした。そのとき芸術や学問において遊びの要素が飛躍的な発展を促した歴史を知ると、遊びの持つ重要性をもっと認識したかもしれません。
学びから生まれるもの、遊びから生まれるもの。それは似て非なり。

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