解剖のすゝめ こんな日は月でも観に行こう
FC2ブログ

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

解剖のすゝめ

空観 解剖スケッチ彫刻をしていて、解剖学の教則本は良く眼にしたり、スケッチなどして仕組みを勉強することは多いものです。写真は以前参考書から書き起こして、今では壁に貼り付けています。決して解剖の現場には立ち会いたくない臆病者なので本ばかり見ています。街ゆく人にも骨格や筋肉の動きを重ねて見る目は少し変わっていると自分でも思いますが…。隣町の高円寺では阿波踊りが有名ですが、夜風に吹かれながら見ていると提灯の明かりにともされたガイコツ踊りにも見えてきます。

骨格標本や筋肉解剖図は怖いから苦手という人も多いと思いますが、彫刻では表現の基礎となるから重要です。作品ではサイズによってデフォルメしますが、プロポーションの割り出しに始まり、ポーズの整合性、感情の表現、重量感や存在感などすべてに影響を与えます。
何度もスケッチを重ねていると、無駄な骨も不必要な筋肉も一切なく、すべての部位が過不足なく有機的につながっていることを感じます。即物的な見方だとは思いつつも、人体の神秘を改めて感じる瞬間です。

解剖学は人体の謎に対する科学的な追求から始まりました。歴史的には紀元前3500年前のエジプトでは既に脳について研究がされていたと言います。古代ギリシアでも医学の父と呼ばれたヒポクラテスがヤギを解剖したとされています。中世や近世では宗教的な理由から解剖は認められていませんでいたが、レオナルドダヴィンチは自ら解剖にあたったとされます。彼の絵が冷やかな印象を与えるのも、解剖学的な観察眼から描かれたことも理由の一つといえるでしょう。

以前科学は進歩の縦糸、芸術は共存の横糸と書きましたが、まさに解剖学は科学的な見方で、芸術的な人間賛歌も感情の奥行きも感じられません。そこにどのような芸術性を込められるかが創作者の真骨頂となるわけです。

解剖図ばかり見ていても創作につながりませんが、ときどき筋肉の流れや形をぼんやりと眺めていると、その曲線や螺旋形態に新しい根付のシルエットが浮かんでくることもあるので不思議なものです。

| 創作ノート | 10:37 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT