彫ること こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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彫ること

紅葉賀 なぜ彫るのかという命題を常に追い求めてきた。

そこで僕はこのように考えている。彫ることはモノの本質の姿を写すことであり、モノの奥に潜む「そのものらしさ」を探ることである。視点の違いで、表現も大きく変わってくる。その視点は自分自身と向き合う瞬間でもある。だから物を彫っているようでありながら実は自分の内面を彫っていくことにつながっている。自己探求の結果がひとつ表現という形になっていく。

またそれ以上に新しい大きな発見に導かれることがある。求める方向に引き込まれていく大きな力を感じる。今この瞬間は現在進行だけでなくずっと長い時間のなかの一部であって、それは過去と未来へと続く狭間でもある。人間の認知能力を超えた不文律の中に我々がいることを想うと、畏怖の念を抱かざるを得ない。

彫るということは、自らの立ち位置をはっきりさせることであり、生きる選択を強いられることである。彫ることを通して過去と未来を繋ぐ証しにするためにも。


写真は最近取り組んでいる作品「紅葉賀」。

| コラム | 15:44 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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