世界の果てに 1 こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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世界の果てに 1

新しい作品に取り組んでいます。
作品の構想を考える日が続いています。


文明の発展は我々に果たして幸福を与えてくれるものだろうか?科学は新しいエネルギーを供給してくれると同時に我々の生命を代償として求める。宗教は我々を土から造り出して特権と階級をもたらしてくれると同時に我々から自然への畏敬の念を忘れさせた。芸術は我々の内面性に歓喜と真理を教えてくれると同時に、我々を暗い憂鬱の檻の中に閉じ込めてしまった。

私達の文明が築いてきたものとは人間が尊厳を持って暮らしていくためのものではなかったのか?
チンパンジーと1パーセントだけ違った遺伝子を持ったばかりに我々は道具を持ち文明の礎を築くことができたのに、我々はその文明の進歩によって故郷を追われ、自らの生命を危機にさらされている。自滅するための時限爆弾を秒読みしているヒトは、サルに比べ何か勝っていたのだろうか?

私は悲観主義者でも終末論者でもない。私はこの文明を思う存分どっぷり享受して現実を生きている。悔しくても後に戻ることはできない。運命を捨てることも拾うこともできない。今を生きるためにどうするかしか道はない。私が生きるという命題の解を求めて、彫るしかない。

人は自然の一部であって、誰からも選ばれたわけでないし、特別でもないし、勝負でもない。地球に存在している生態系のなかで常に生命というエネルギーを循環させているだけである。我々の歴史も社会も道徳も、人間だけの独りよがりの産物である。花が咲くのに法律はいらない。鳥が飛ぶのに国境などいらない。蛙が鳴くのに神は必要ない。すべては万物流転のことわりの中で命を繋いでいるだけである。

我々が自然と違うことは、我々は他人任せで生きられるようになったことではなかろうか?文明が進むにつれて個人の責任が社会の責任となっていく。誰かが作った国家に住み、誰かが作った法律に縛られ、誰かが作った食物を摂り、誰かが作ったシナリオがないと生きられない。そのことを我々は自覚することから全てが始まるのではないだろうか。世界の果てで明日の光を見るためにも。

| コラム | 13:05 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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