世界の果てに 2 こんな日は月でも観に行こう

こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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世界の果てに 2

空観 三猿前回のブログでは作品の構想を紹介しましたが、今回はその続きです。
私には元来反骨精神というか、権威や常識に対して懐疑的姿勢があるため、偏屈で意固地に見られるきらいがあります。私達の住んでいるこの時代、環境、思想の功罪を常に考えるのは、あらゆる事象の根源に興味があるためです。

私が前回宗教、科学、芸術の3本柱で話を進めてきたのには理由があります。それはその3つは現世界の認識のし方が決定的に違うと考えるからです。本質が違うため平行線のままだと思っています。

これら3つの柱をどうすれば表現と結び付けることができるかを考えました。私はこういうときなるべく分かりやすく親しみのあるものをモチーフに選びます。そこで今回選んだのはご存知の「三猿」です。日光東照宮にあることで有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」ですが、一説には子供のころには悪いことを目にしない、耳にしない、口にしないで勉学に励みなさいという教えだそうです。英語では Three wise monkeys というそうです。wiseとは知恵ということでしょうが、生きるためには見も聞きも言いもしない態度が賢者となるのか不思議な気もしました。しかし三猿の教えとは全く反対なのが現実世界ではないでしょうか?

見ざるといっても見たい、聞かざるといっても聞きたい、言わざるといっても言いたい。禁止されれば過剰にしたくなる、それが現実ではないでしょうか。さらには他人にまで干渉して「見させざる、聞かせざる、言わせざる」といった始末。科学は世界の不思議を何でも見ようとしてしている。宗教はそれぞれが信じる神の言葉を言おうとしている。芸術は心の琴線に響く音を聞こうとしている。互いの行き過ぎた行動を抑制することもできずにますますエスカレートしていく…。
他の人のことにはお構いなしで、傲慢で独善的な自己主張ばかりの現代社会。


今のこの世の中、三猿の教えはとても難しいものに思えるのは私一人ではないと思います。

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