根付という幻影 こんな日は月でも観に行こう
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小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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根付という幻影

usagi3.jpg根付は江戸時代から続いてきたこともあり、古根付を愛好する人はよく日本的な題材がいいと、それを好む傾向があります。そもそも、その「日本的」とはいかなるものでしょうか?

江戸の頃の根付は世俗の流行や異国趣味などを敏感に反映した新奇の精神で妍を競っていたはずです。漢学や南蘋(なんぴん:清の画家で写実的な画風を日本に伝えた)風花鳥画、大衆娯楽などさまざまな流行がありました。北斎や若冲など多くの画家もまだ見ぬ外国に相当の関心があり、西洋画の技法を積極的に取り入れました。江戸っ子たちは「最先端を装うから粋なのであって、遅れては野暮になる」とこぞって自己顕示欲にとらわれていたことでしょう。

根付は道具の名前です。機能だけ足りていれば実用上問題ないのですが、根付を発展させた大きな要因は自己実現の欲求※1の表れです。成熟する文化のなかで次第に他の人と違うものを持つ喜びを獲得していったと考えられます。

ひとくちに根付といってもさまざまな変遷があり、特定の様式があるわけではありません。決して日本的だと思って拵えていたわけではないはずです。根本的に日本的という断定は、何を持ってとらえるのでしょうか?明治政府が列強諸外国に対抗するために声高に叫ぶ必要があったからではないでしょうか。

古き時代に「日本」があるだけでなく、今の時代にも「日本」はあるのです。

現代に生きる作家の立場で考えれば、かたくなに懐古趣味の根付の幻にとらわれるのではなく、根付は常に時代の変化を反映すべきなのだと思います。根付を取り巻く世界は様々な解釈があっていいと思います。私にとって大切なのは古典の模倣ではなく、今を生きる根付の創作です。

写真は「三羽の兎」。同じ大きさの象牙で兎の三態三様。根付は作り手のエゴではなく、装う持ち手の感性で磨かれるもの。どの兎を選ぶのかは気分次第。

※1 心理学者アブラハム・マズローの人間の五段階の欲求を提唱した。「1.生理的欲求 2.安全の欲求、3.所属と愛の欲求、4.承認の欲求、5.自己実現の欲求」を指す。晩年にさらに「自己の超越」を付け加えた。

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