根付の責任 こんな日は月でも観に行こう
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こんな日は月でも観に行こう

小さな変化に心を傾けてつづる空観流ひとりごと

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根付の責任

ikaros2008.jpg歩みだすときは、今の立ち位置を明確にしないといけない。
根付を商業主義に翻弄されながら作る人もいるし、現状で満足している人たちもいる。私はそのことを否定する気はない。

しかし別のアプローチが私に課せられた使命だと思っている。
根付を通して、現在の我々が抱える個々の問題や社会環境を問い直す責任がある。それは未来を担うものの役割だから。

芸術の持つ機能性を考えると、現実社会の常識や慣習と人間に本来備わっている真実との違いを発見させる装置としての役割がある。それは個々の体験で漠然と意識していたことを統合させ、人生の意義を与えること。いかに生き生きとした人生を送り、喜びを分かち合うことができるかを気付かせることである。

さらに言えば地球上における個の存在を理解し、存在するすべてと共存していることを知ることである。全ては必然であり、調和することが重要なのだ。

根付の作品価値と価格を上げることが良い作品の条件ではない。それは結果的な話であってまず作家の内発的な動機が作品には大切である。

パラダイム・シフトという言葉がある。当然のことと考えられた価値観などが劇的に変化することを言う。本来芸術が持つ本懐とはそういうものである。

現在肥大化した情報がもたらす世界画一的な物質文明によって個々が理性を狂わされ、救いを求めている。地球規模で迫りくる自然破壊、先進国がむさぼりつくした利潤の覇権争い、人口爆発による生態系の変化・・・。人類は生の喜び、憧れ、情熱を失い、深い孤独感、喪失感で不安を抱えている風潮は否定できない。
その状況を抱えた現代の根付師たちは未来に、何を残すのだろうか?未来は来るものではなく、自分が当事者になって作っていくもの。私は人々に生きる勇気を与える賛歌をカタチにしたい。

写真は「再生―イカロス」。太陽に近づいてロウの翼が溶けて墜落死したイカロスだったが、その後本物の翼がはえた姿でよみがえったのをイメージして作った差し根付。

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